バブル崩壊に気づかなかった 2022 6 12

 日本のバブル経済は1989年12月が頂点だった。
翌年の1990年前半に株価は歴史的な下落を記録した。
 しかし、これがバブル崩壊の始まりだと認識できなかった。
株価は歴史的下落だったが、世の中、景気はよかった。
 政治家も経済学者も、
単なる株価の急落だと思ってしまった。
 だからこそ、中央銀行も金利の引き上げを続けた。
国民からは「バブル退治」と喝采を浴びたので、
政治家も中央銀行の金融政策を支援した。

 しかし、これが恐ろしい結果を招くと気づいたのは、
誰一人いなかったのです。
 当時は、株価と不動産が急上昇したので、
「財テク」と称して、多くの会社が、
株と不動産を買い漁ったのです。
 たとえ本業が悪くても、
株価と不動産が上昇して好決算のように思えたのです。
 しかし、中央銀行による金利の連続的な引き上げや、
不動産融資の総量規制を受けて、
株価が急落しただけでなく、
不動産価格も急落したのです。
 恐ろしいことに不動産価格は、
東京の一部地域では価値が10分の1になるまで
下落が止まらなかったのです。
 実に大底に達するまで10年以上かかっています。
株価も大底に達するまで10年以上でした。
 このような株価と不動産価格の連続的な下落は、
バランスシート(貸借対照表)を毀損させます。
つまり、「資産の部」が10年間も縮小を続けたのです。
そうすると「負債の部」が過大に大きくなるのです。
 そこで、多くの企業は、
「負債の部」の圧縮を10年以上も続けることになったのです。
 これが「失われた10年」の正体だと思っています。
つまり、「バランスシート不況」が10年も続いたのです。
 世界からは日本に対して、
「何をもたもたしている」と批判が続きましたが、
バランスシート不況は、そう簡単に終わるものではなかったのです。

バランスシート不況 2022 6 5

2022年6月4日の日本経済新聞の電子版には、このような記事があります。

FRBよ、おまえもか アメリカ経済に迫る「帳簿不況」の影

 時計の針をバブル崩壊が始まった1990年の日本に戻そう。
前年の12月に三重野康氏が日銀総裁に就くと
政策金利をわずか8カ月あまりで3.75%から6.0%に引き上げた。
 日経平均株価は89年末の最高値からわずか4カ月で一時3割近く急落した。
今のナスダック総合株価指数の最高値からの最大下落率とほぼ同じだ。
 株価が下がり始めた春、市場は騒ぎになったが、
株安がバランスシートの右側(負債と純資産)に悪影響を及ぼすとは、
ほとんど気づかれなかった。
(引用、以上)
























































































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